どのチームを愛するかなんて呪いでしか無い

2023年5月4日木曜日

エッセイ的なもの

t f B! P L

 「なんでそんなチーム応援してるの?」

こんなセリフが煽りとしてしょっちゅう見かけるなあとここ最近思ったり思わなかったり。
単純にあおり合いが可視化されたSNS大時代だからそう思うんだろなあなんて思いつつ、私には

「どのチームのサポかなんて呪いだし選べない」

という持論があるので、今日はそんな話をつらつらと。
何故そんなの書くかって?愛するチームが8ヶ月も勝てなかったから色々煽られたんだぜ!





きっかけなんて選べない


そもそもだ。

どのチームを好きになるかなんて選べるもんなのかね??という疑問をずっと私は抱いている。
好きになるきっかけなんて偶然が大半だし、応援したい!という強い動機を抱くに至るのは更に偶然が重ならないと簡単じゃ無い。
だから好きなチームは呪いだとずっと思っている。

私の例でいえば、柏レイソルとアーセナル。
ゲームでいえばREJECTとDetonatorが大好きなチームだ。(ここら辺ゲームの競技シーンに詳しくない人には絶対伝わらないだろうけど)

レイソルを好きになったのは、柏生まれの柏育ちだからだろう。ぶっちゃけきっかけなんて一つも覚えてないし、物心ついたときには家族全員レイソルサポだった。
人生で一番古い記憶が1999年のナビスコ決勝を観に行った記憶なのだから間違いない。

で、5歳ぐらいでサッカーを始めたからずっと心のヒーローはレイソルの選手。
この時点でもう選ぶ余地なんてないのよね。生まれながらにそうなることがほぼ決まっていたようなもので。


アーセナルに関して言えば、中学校に上がったぐらいで海外サッカーを見始めるようになって、たまたま見た試合のパスワークが速く美しかったから。
それまでは特に海外で好きなチームなんて無くて、強いて言うならバルセロナというよくある状態だったのが、もうアーセナルに一目惚れに近い感情を抱いてしまった。
数年後には立派にバルサが大嫌いなグーナーに成長していた。

縁もゆかりもない海外チームですらきっかけを選べないのに、応援するチームなんて選べるわけが無いという私の経験に基づいた持論は結構自信がある。

きっかけの多さは差がある


とはいえサポーター数には大きな差がある。その理由はきっかけになり得る機会の差がそのまま出るのでは無いかと思っている。

当然ながら結果を残しているチームや上位のリーグに居るチームの方がメディアで取り上げられる回数だって多い。試合に限らずバラエティへの出演、ドキュメンタリー等の露出も含めるとその差は広がっていく一方だ。

なので人数差が出来てしまうのもしょうがない。サッカーというのは自由競争の社会だ。強者がより強者になるのもまた事実。

私が話したいのはここの部分ではあまりなくて、どっちかというと
「サポーターになった後に呪いを実感する」
という話をしたいなあと思う。

呪いはサポになってから効く


負けが込む、降格する、何も上手く行かない。
こんな状況を経験しないチームはなかなか無い。

先に挙げた応援しているチームで言えば、レイソルはついこの間まで8ヶ月間勝利が無いという絶望的状況だったし、アーセナルも無敗優勝以降は厳しい時代、つい数年前にはカップ戦にも出れないような順位まで落ち込んだ。

こういうときにこそ、呪いは効くし実感する。

本来娯楽として存在するサッカー観戦で、なぜストレスを受けるのか。
ずっと追いかけてないで、ちょっと距離を取って休んだら良いじゃないか。

そんな正論もよく聞く。他に趣味を持て、とかもその一種。

うるせえ、そんなの出来たら苦労しねえよ!というのがサポーターの叫びだと思う、すくなくとも私はそうだった。
そもそもの動機は「勝っているところを見て喜びたい」じゃないんだよ、「応援したい」ってところなんだよ。

だから距離を取ろうと思っても結果が気になって仕方が無いし、他のチームに乗り換えなんてもってのほか。
一度惚れてしまった以上後戻りなんて不可能、そんな呪いだよなと思うのだ。

嗚呼サポーターとは過酷なモノよ


考え直してみるとあまりにも理不尽じゃあ無いか。

どのチームが好きになるかなんて運や偶然でしか無く、勝敗によって歓喜かストレスか大きく変わるのに、出来ることはお金を落とすことと声を枯らして叫びを伝えることのみ。
いくら選手が本心で「応援が大きな力になってます」と言っても、実際にプレーするのが選手達である以上、我々に出来るのは背中を押す空気を作るのみなのだ。

それでも、だからこそサポーターとは幸せも得られる。

喉が潰れるまで叫んで、点が入ったら知らない隣の人とハイタッチして、全力でガッツポーズして。
ここまで感情を揺さぶられることが他にあるだろうか。日常でどれだけこのテンションを味わえるチャンスがあるのだろうか。

呪いにかけられ、辛いときも愛が故に逃げられず向き合いしか無い。
だからこそ、レイソルも横浜FCも初めての勝利があんなにも感動を呼ぶ。

この呪い、傍から見たら不幸だときっと言われるのだろう。
アーセナルサポで良かったね、といわれることだってある。そりゃ世界でも屈指のビッグクラブじゃんか、と。
じゃあもっと下のチームのサポーターはもっと不幸なのか?と発言主に問いたい。
幸せになりたくてサポーターになるんじゃ無い、このチームを応援する瞬間瞬間が幸せだからサポーターなんだよ!と返したい。

サポーターは人生に近い


こんなこと言うと大袈裟だ、と言われるかもしれないけど、サポーターって人生レベルなんだよなと思う。
自分じゃコントロール出来ないことが沢山降りかかって、出来ることは限られていて。どこに幸せを見出すかも、どうやって応援するかも選ばなくちゃいけない中で生きていく。

今でも思い出すのが、遠く北は青森、弘前という都市だ。

私は専門卒業後、ブランデュー弘前というチームに加入した。
青森はサッカーの文化がなかなか根付かず、加入当時はプロチームが一個も無い状態。
当然ながら弘前にもサッカー文化はなかったと思う。

それでも無料とは言えホームでは毎節600人以上が見に来ていて、小さいながらもゴール裏的文化があって、手探りでサポーターというモノを作っている現場に選手として立ち会えた。

これは一生誇れる財産だと今でも思っている。

そこに居る人たちは、とても面白かった。かつてJリーグのゴール裏に居た人がたまたま弘前に住んでて応援してるとか、初めてこのチームでサッカーに触れたとか、サッカーが好きになったタイミングでチームが始動したとか。
ちょっとでも何かがずれていたらこのサポーターの人達に会えなかったんだよな、と不思議な気持ちになる。

今後どこかで書いてみたいが、私は散々な形でこのチーム初の戦力外になった。

それでも結果は気になるし、そのうちまた弘前に試合見に行きたいな、なんて思ってしまう。
あれだけ酷い目に遭ったのに、それでも興味を断ち切るなんて無理なもんなのだなあとリーグ開幕を知ったときに改めて痛感した。

我々サッカー好きは、呪いに縛られ、呪いに振り回され、感情をぐちゃぐちゃにしながら生きていく。

それは振り回される側にしか分からない、至高の人生だと思う。

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