ここ数年といって良いのかどうか、サポーター発信のマッチレビュー(試合の観戦記、戦術や技術的な解説)が増えている。ブログ、note、X(旧Twitter)などなど。
それに伴い、サポーターの知識や理解が深まっていたり共有がされていたりという変化が起こっているように感じる。
これは結構個人的にへーーーと思ったことで、
①サポーターの方々に知識欲、理解したいという気持ちが予想以上に強かった
②読んで理解することに楽しさ、充実感を覚えた人が多い
というのは、以前の私はちょっと想定していなかった。解説なんて蛇足なんじゃ無いか?と思っていた過去の自分をレッドカード覚悟でモンゴリアンチョップしたい。
で、自分も例に違わずプレー解説や戦術的な解説のようなものを書き、多くの人に読んでいただける機会がちょいちょいある。
書くモチベーションの根本には自分の勉強を兼ねて、というのが大きいがもう一つ私が持っている想いに
「試合の中身が分かるとサポーターとしてより楽しめる」
という考え方がある。ということで、今回はこの考えをなるべく伝わるように書いてみようと思う。
大前提、詳しい人が偉いとかは無い
まず大前提としてこれを書いておきたいが、詳しいから偉いとかそんなことは全くない。
100人いれば100通りの楽しみ方が会って当然だし、好きなルックスの選手が頑張ってるのを追いかけるのも、サポ仲間と楽しく過ごすのも、なんにも考えずに頭空っぽにしてうおおおおお!って叫ぶのも全部素敵だと思っている。
人に迷惑さえかけなければ自由だし、楽しんでいる人はみんなそれだけで最高だと思う。にわかは黙っとけとかマウントをとる人は全員無視して楽しむのが一番大事である。
その上で、「こういう楽しみ方もあるのでは、だから読む人が増えたのでは無いか」という提案と推測のお話だと言うことを念頭に置いた上で読んでいただけると幸いだ。
勝ち負けは運に寄る部分が非常に大きい
サッカーというのは、勝ち負けが戦前と異なる場合が非常に多い。
ジャイアントキリングと呼ばれる大番狂わせが多いスポーツであり、それが魅力となっている。
他のスポーツを上げてみると、例えばバスケは番狂わせが起きにくいと言われている。また駅伝も事前におおよそのゴールタイムが推測出来、比較的予想がしやすい分類に当たるだろう。
どこが番狂わせの起こりやすさを左右しているのか。それは勝敗を決める「ゴール」の違いにある。
ゴールの数が少ないスポーツ、サッカー
サッカーというスポーツは、ゴールが少ない。
先程例に挙げたバスケで言えば、Bリーグの1試合平均得点を見ると70~80点前後である。
3ポイントを考慮しても、両チーム合計で150点ぐらい入る。ゴールの回数だと60回ぐらいになるだろうか。
それに対し、サッカー。
J1リーグで最も1試合平均のゴール数が多いマリノスでも1.85点。単純に倍にしても、1試合辺り3.7回しかゴールが生まれない。
このゴールの少なさがサッカーを見る上では大きな鍵となる。
ゴールは水物
ゴールを奪うという行為は簡単では無い。沢山チャンスを作ったのに決めきれず、逆に相手のワンチャンスを決められ0-1で負ける、なんて悔しい経験は誰しも覚えがあるはず。
それぐらいゴールというのは決定率が低く、またシュート数自体も決して多くないのがサッカーという競技の特徴である。
20%の確率で決まるチャンスを5回迎えて、期待値としては2点入る計算となる。だがその2回はあくまでも期待値であり、3点取れるときもあれば1点も取れないときもある。
そんなときに相手が10%の確率しか無い1回のチャンスを決めれば結果は0-1。
ちなみにこのチャンスに対してどれぐらいの確率で決まり、何回そんなチャンスがあったか、というのを計算して算出されるのが最近よく目にする「ゴール期待値(xG)」である。
ゴールは水物であり、点差とゲーム内容が一致しないことが大いにある、そんな競技だ。
ゴールは水物であり、点差とゲーム内容が一致しないことが大いにある、そんな競技だ。
ではなぜ試合内容を見るのか
点差や試合結果と内容が一致しないことも多いのに、なぜ試合内容を見てあれこれ考えるのか。
ここからは完全に私の持論になるので聞き流す感覚でお読みいただければと思う。
点差と内容が一致しないからこそ、考える
点差と内容は一致しないことが多い。だからこそ、この試合は惜しかったのか、むしろ勝てそうだったのか、奇跡的に勝ったのかを考えたくなる。
そうすると、実は健闘していたんだなとか、クビの皮一枚繋がってたんだなとか、いろんな事実が見えてくる。
内容が少しずつ把握出来てくると、勝ち負けだけでは無く
「負けたけど良い試合だった、よく頑張ってた」
「前節よりも内容が良くなってきてる、連敗だけど前には進んでいる」
というように、チームがどう歩んでいるのかが見えてくる。
それが幸福かどうかは正直分からない。今まで気付かなかった苦しみに気付くこともあるだろうし。
チームの狙い、作戦を知ると楽しい
試合によって選手の配置が違ったり、プレーの判断基準や守備の位置が変わることがある。
これは基本的に、相手に対して対策をしていたり、より自分たちが勝ちに近付くために変更したりする。
当たり前だが「マスター、今日は3バックな気分なの」なんてことはなく、そこには理由がある。
その狙いを探すこと、それが内容として実っていたのかということが見えてくると、チームの奮闘が今までと違った角度から見えるのでは無いだろうか。
余談だがこの狙いを探すというのはあくまで推測しか出来ず、「多分こうなのでは・・・」というのが私の限界である。監督インタビュー等のソースが無い状態で断言出来る人は凄いなあと思う、色んな意味で。
物事の仕組みが分かるとすっきりするし面白い
これはもう単純に私の性格なんだけど、この動機で書いた記事が面白かったと言っていただけるので同じように思う人が多いのかな?と。
ゴールには大抵守備がやられる理由があって、攻撃が崩せた理由がある。
とんでもないミドルシュートなんかはもうキックが上手い!って事になっちゃうんだけど。
原因を辿っていくと案外ボールの無いところで動いている選手だったり、さりげないパス交換がDFのズレを生み出してたり。
あるいは選手がどんな動きでDFを動かしているのか、その結果どこが空くのか。そんな駆け引きと仕組みが積み重なって試合は動いていく。
こちらの記事とかはそういった意味で良く書けた記事だと思う。
ちなみにここら辺の「試合を評価する意味」というのは、みんな大好きらいかーると氏(Xアカウント)が執筆した名著「アナリシス・アイ」の冒頭でよりわかりやすく紹介されているので是非読んで欲しい。
サポーター目線で変わったこと
では最後に、サポーター目線に絞ってどんな楽しみが増えるか、という点を書いてみたい。
結果に見えないチーム・選手の成長と挑戦が見えてくる
連敗が続いたり、8ヶ月勝利が無かったり、どうしてもチームには辛い時期だったり苦しいシーズンがやってくることがある。これは台風みたいなもので、分かってても避けることが非常に難しい。
そんなときに試合の中身を見て評価することで、
「あーこういうところが今の課題なのか・・・」
「この前までこれ出来てなかったけどちょっと出来てきてる!」
「いやー負けちゃったけど内容は良かったし惜しい!」
というように、スコアだけでは把握出来ないチームの状態が見えてくる。
何度か書いているように、勝ち負けやスコアというのはどうしても運が絡むし報われるとは限らない。
だからこそ、そこに反映されないチームの取り組みや頑張りが中身によって知れれば、正しくチームの姿や進む道をよりクッキリと見る事が出来る。
なんか分からないけどめっちゃ負けてる、という状況が幸せなのか、負けてる原因が分かることが幸せなのかは分からない。
だが私は理由や原因を知ることが面白かった。
選手の上手さ、凄さに感動することが増える
プレーの仕組みや構造が見えてくると、今まで見えていなかった選手の動き、働き、駆け引きが目に入るようになってくる。
そうすると、気付いていなかった選手の偉大さに気付く機会が増える、これはマジで有ると思う。
地味だけどあの選手切り替えの瞬間必ず危ない場所潰せてるなとか。
あの場所に立ってるから他の選手へのパスコースが空いてるんだよな、とか。
こんな短時間にここまで予測してファーストタッチしたのか?とか。
今まで知らなかった選手の魅力を知ることが出来る、それはチームを応援するサポーターにとって間違いなく楽しみが増えると言えるのでは無いか。
そしてそれだけレベルの高いプレーを見れる幸せを感じて欲しい。本当にプロになるような選手は皆化け物レベルの人たちだから。
慣れると抵抗がなくなり、どんどん見えるものが増える
一度こういった理解が進むと、難しいと思っていた議論や用語が理解出来るようになり、試合を見る度に新たな発見が出てくる。
そうすると更に欲が出てきて本を読んでみたり、他クラブの試合を見たり…
点と点が繋がって、何が起きたかが分かってくる。これ、超楽しいんです。
この自分の中で理解が進んでいく感覚は是非味わってみて欲しい。
敵味方ではなく、試合相手としてリスペクトできる
結果だけ見てしまうと、「応援してるチームを負かした憎きヒール」という目で相手チームを見てしまうことがある。
これが中身を見るようになると、相手チームのプレーやゴールに対しても
「悔しいけどこりゃ上手えなあ・・・」
とつぶやくようになったりする。ただ敵視するのでは無く、いちプレイヤーとして、対戦相手として見る事は結構楽しいということを知って貰えたら嬉しい。
因みに私は選手時代にこれを、試合中にやってしまって「うっま」と言ったところ監督に聞こえてぼろくそに怒られたことがあります。
勝ち負けに感情が振り回されすぎない
水物である勝ち負け、もちろん大事なのだが感情が振り回されすぎると疲れてしまう。
負けたときの良いところ探し、負けたときの「でもここはもっと良くなるな」探しはただ結果に振り回されずにチームを見るという意味では心の安静を保つ手段とも言える。
なにより試合の中身は頑張っていたのに負けてしまったとき、その頑張りを見付けられたら嬉しさを感じられるはずだ。
逆に中身が見えるようになったからこそ、「まるで成長していない・・・」となってしまうことも無くは無いのだが。
補強や経営含め、結果以外のあらゆる事情について考えるようになった
これは嫁にインタビューしたところ返ってきて面白いなと思った話。
私が独り言でずーっといろいろ言ってる横で観戦していた嫁はいつの間にか、ちょっとずつ中身が分かるようになったそうで。
結果、補強のニュースを見たときに
「あー確かにこういうスタイルにはまりやすい選手だもんな」
「ここの補強はしないのかな」
と、移籍の必要性やニーズが分かるようになってきたと。
そしてそこからどんどんフロントの状況、金銭面や経営規模、過去の歴史も考えるようになったと。
ピッチ内の事象を理解し始めたことがきっかけで、チームという生き物を色んな面から見るようになって愛が深まったと言っていた。これは珍しいケースかも知れないが、体験談として貴重なエピソードだとも思う。
応援と観戦は両立出来る
チームを応援することは楽しい。だが「サッカーの試合を見る」という気持ちで観戦することもまた楽しいと私は感じている。
そしてこれは両立出来るものなんだと思う。
チームの勝利を祈り叫びながら、一方でピッチ内は何が起こっているのかを見守る。
サッカーの奥深さとレベルの高いプレーを味わいながら、ゴールの快感で頭が空っぽになるほど感動する。
内容と結果が比例するとは限らないからこそ、内容は内容で、結果は結果でそれぞれ受け止め、どんなことが試合中に起きていたのかを咀嚼する。
そんな楽しみ方も良いものなんじゃないかな、というご提案でした。
あとがき
メディア界でよく言われる言論に
「視聴者は5歳児だと思って作らないとコンテンツが理解されない」
VS
「視聴者を舐めて優しい作りにするからコンテンツがつまらなくなる」
という戦いがある。
ドラマの筋書きが分かりやすかったり、説明口調のセリフが多いのは理解して貰えないから、一方でドラマ好きはその安直かつ不自然な作りに物足りなさを覚えて離れていく。
これはスポーツ界でも起こりそうだなあと思っていて、分かりやすくなるように難しい解説をせずに
「凄いパスでしたね!」
で済ませる、というのが代表をはじめとする地上波で行われてきた解説だった。
だが現在は大きく変わり、しっかり深く解説してくれないと物足りないぜ!って人が増えた一方でそのニーズに応えられるのはごく一部のサッカーメディアと個人発信勢、という構図が出来つつある。
何があったかを知りたければ、サッカーマガジンよりサポーターのブログを観に行く時代。
とはいえ詳しい話に対して抵抗のある人というのは絶対にいるし、それは何も悪いことでは無いと私は思っていて。
なんとか「こういう楽しみ方もあるんだよ」という提案が出来る記事を書きたいなとずっと思っていた。
Jリーグもシーズンが終わり、天皇杯を残すのみ。
今シーズンの結果やその道中について、いろんな意見が出るこのタイミングでこの記事を出したかった。
休日が半日潰れたが後悔はしていない。
こんなことを偉そうに書いている私も、まだまだサッカーの奥深さでいえば浅瀬にいるんだろうなあとずっと思ってるし、他の方が書いたレビューを観戦後に読んで学ぶ事が多い。
その時に感じる楽しさをちょっとでも共有出来たら、と思っている。
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